十月桜 (9月24日) [神社仏閣]
感じるんですから、人間の感覚なんて大したことはないですね。
もう、毛布で寝ているんですが、毛布はまだ早いようです、朝方目を覚ましたら体の殆どを覆っていませんでした。風邪
引くかな?
参道を進みます。イチョウの大木がまだ緑色でした。間もなく紅葉するでしょう。ほとんど銀杏は落ちていませんでした。
山門をくぐって本堂に向かいます。右側の庭の木が色づき始めていました。
手前が手水舎、奥が七面堂。本堂は黄葉した木の向こうだが見えない。
住職が境内の掃除をしていました。「十月桜が咲いたよ」と教えてくれました。まだ3輪、5輪ですが上の方に咲いてい
ました。この花は一旦散り、葉もずべて散った時本格的に花が咲きます。この冬の咲き具合はどうか、楽しみです。
待っていた秋明菊が咲いていました。境内のあちこちで咲いていました。
黄色い彼岸花が咲いていました。ネットで黄色い彼岸花をチェックしたら「リコリス・オーレア」と出ていました。色々の
名前があるんですね。黄色彼岸花、ショウキラン、ショウキズイセンなどと。
もう10月ですね、十月桜が咲いてもおかしくないですね。もうすぐお正月です。
本日はこれにて。
彼岸花(ヒガンバナ)、曼珠沙華(マンジュシャゲ) (9月12日) [神社仏閣]
残念ながら咲いていませんでした、大分前に蕾が大きくなっていると見ていたのですが。
散策路の傍には杜鵑草(ホトトギス)がたくさんありました。
白彼岸花も咲いていました。赤い彼岸花を期待していたのですが、たまたま掃除をしていた住職さんの話では、今年は開花が早く赤い彼岸花が早く
終わったと云っていました。
子供の頃、大人が彼岸花ではなく曼珠沙華と云っていたような記憶があります。ただし、花を見た記憶はありません。その記憶からでしょうか
曼珠沙華という言い方が昔を思い出させます。
昨日今日と晴天、シルバーウイークを利用してお出かけの人々は存分に楽しまれていることでしょう。明日以降も晴天、よかったですね!
本日はこれにて。
夏の終わり (8月25日) [神社仏閣]
「地方こそ、成長の主役」と書いてあります。
その華やかな光景もお盆が過ぎ夏が過ぎようとしている今は静かです。
山門の前に仏足石があります。
手水舎
本堂の前の鉢に鷺草(サギソウ)が一羽。
花の少ない今は鷹の羽薄(タカノハススキ)が目立ちます。
散策路の斜面には狐の剃刀(キツネノカミソリ)があちこちに。
まだ秋ではないはずですが、秋の長雨です。
本日はこれにて。
法性寺の可愛い石像。 (6月25日) [神社仏閣]
なぜ寒く感じたのか不思議です。
きょうは七夕ですね。子供の頃から月遅れの七夕でしたから、7月7日はその気になれません。
当地は曇天或いは降雨の天気予報通りとなり、天の川は見られませんでした。8月7日はどうでしょう?
(追記; 当地は天気がよくても地上の灯りで星はほんの僅かしか見えません。満天の星空が見たい!)
目的は花でしたが、あいにくと花は殆ど見られませんでした。
木の実は何でしょう?
ホタルブクロでいいのだろうか、青い色はあまり見たことがありません。
仏教には人が生きる上で大切な教えがあると聞きます。そういうことが書かれた本を読んでみたいと思っています。
毎日毎日殺人を始めとするさまざまな犯罪が報じられます。世の中は荒れているのでしょうか。
本日はこれにて。
日蓮聖人とお万の方と関係のある大蓮寺。 (5月7日) [神社仏閣]
あっという間に夏至になったように感じます。まだまだ明るい日中が長くなるように思うのですが。
大分古いことになりますが、5月の初めにクリニックに行った帰りに大蓮寺にお参りしました。
三宝祖師・・・あまり聞いたことがありませんが、三宝とは仏・法・僧の称で日蓮宗では日蓮聖人の
絵画などを云うとネットで調べたらありましたが、よく分かりません。
山門を入ったところに日蓮聖人が関係していろことが書かれていました。
本堂
家康側室お万の方お手植えの柘榴。
家康の側室にはお万の方は二人いたらしい。次男を産んだお万と十男、十一男を産んだお万と。
このお寺に関係しているのはどちらでしょう?
いずれにしても徳川家とは関係があったのですから、屋根瓦などに徳川家の家紋・三葉葵があったかもしれないので
よく見ればよかった。
本堂の裏手の少し高いところにこの建物がありました、何か分かりません。それほど年数は経っていないようです。
大きなお寺さんで、幼稚園を経営しているようですたが、ネットに記事も殆ど無くお寺さんのことがよく分かりませんでした。
日蓮聖人とお万の方と関係のあるお寺さんなのだということだけ分かりました。
本日はこれにて。
芍薬 (シャクヤク) (5月4日) [神社仏閣]
もしかしたら上陸するかもと云っていたが。
まだ十月桜が頑張っています。 (3月28日) [神社仏閣]
人出だったようですが、桜を惜しむ人々に加え今は学校が春休みで家族連れが繰り出したんですね。
きのうは例年にないほど桜を堪能しましたが、それは後日アップしたいと思っています。
今アチラコチラの家庭のタンブラーや地植えでミニヒヤシンスが見られます。様々な色があるようです。
葉っぱの形からすると白雪芥子(シラユキゲシ=ケシ科)のようなんですが、花びらが白飛びしてよくわかりません。
逍遥路に入ったらこの木がありますた。葉っぱの付け根辺りに白っぽい花が。小さいです,5mmもない。
名前が分かりません。ご存知のかた教えて下さい。 a-silk さん ⇒ ヒサカキ(ツバキ科)
木瓜(ボケ)がいい感じで咲いていました。
この椿を見たとき、ドキッとしました。今年もいろいろの椿を見ましたが、印象深いひとつです。
足元にはスミレがたくさん咲いていました。
きょうの付け足し; 青木(アオキ=ミズキ科) の雄花 アオキは雌雄異株
わが家の梅の木の下にあるが、何年か前に野鳥が落としていったものらしい。
雄花だから実は生らない。
花は5mmもない。雄しべが4個で真ん中は雌しべの痕跡。
本日はこれにて。
遍照寺さんを訪れました。 (3月12日) [神社仏閣]
関係しているのかもしれません。
保土ヶ谷駅から徒歩で5分ぐらいのところに「遍照寺」があります。先日(3月12日)訪れました。
門前です。参道の右側は地下は駐車場になっているようですが、真雅会館涅槃堂です。
仁王様、普通は山門の両側に安置されているものでしょうが、・・・・・。
この真雅会館涅槃堂の参道側側面には十三仏の仏像が並んでいました。
本堂です。樹木の茂る山に抱かれています。
遍照寺の創建年代は不詳であるが貞観18年(876年)開山とも伝えられ、僧賢海が寛永10年(1633年)当寺を再興し、
中興開山となっている。本尊は薬師如来坐像で横浜市指定有形文化財(彫刻))になっている。
横浜市選定の名木古木 3本
イヌマキ イチョウ イチョウ
仏足石(ぶっそくせき) 釈尊の足跡を石に刻んだもの。
古代インドでは像を造る習慣がなかったため、仏足石を建立し
信仰の対象とした。
参道を進んできたとき、本堂を中心としたこじんまりしたお寺さんと思いました。
本堂の左手が墓地ですが、この山の上へ上へと道があり、全山広い墓地でした。
梅は終わり(本堂の前の両側に枝垂れ梅があります)、桜が三本ほどありました。
花の端境期だったかもしれませんが、馬酔木があちこちで咲いていました。
帰りがけに山門を出て見上げましたが、広いお寺さんでした。下の写真の右端中央のちょっと下に本堂の屋根が
見えます。お参りの方は午前中の早い時間のためかどなたも見えず、ゆっくりとお寺さんの雰囲気を味わうことが
出来ました。
本日はこれにて。
法性寺さんの春めき桜。 (3月14日) [神社仏閣]
きょうも桜です。きょうは星川の法性寺さんの春めき桜です。
満開でした。
品種登録された比較的新しい桜です。
寒緋桜とシナミザクラの交雑のひとつとされており、足柄桜とも云われていたようです。
現在、有名な並木になっているのは富士フィルム神奈川工場だそうです。
咲き始めは淡いピンクですが、満開を過ぎると白色に変化します。
本日はこれにて。
とげぬき地蔵尊をお参りしました。 (3月5日) [神社仏閣]
わが家の近辺でも昨日の午前中に真っ黒な雲が出て一時雨が降りあられが降ったようです。
春だと思っていましたが、まだまだ冷え込む日があるんでしょうね。
「とげぬき地蔵尊」の名で親しまれるこのお寺、正式には曹洞宗萬頂山高岩寺といいます。慶長元年(1596年)に
江戸湯島に開かれ約60年後下谷屏風坂に移り、巣鴨には明治24年(1891年)に移転してきました。
ご本尊は「とげぬき地蔵」として霊験あらたかな延命地蔵菩薩です。こちらの地蔵菩薩様は秘仏ですので残念ながら
拝見させていただくことはできません。
がい、地蔵の姿を印じた紙1万枚を川に流すと、その効験あってか妻の病が回復したという。これが寺で配布している
「御影(おみかげ)」の始まりであるとされる。大きさは縦4cm、横1.5cmの和紙に地蔵菩薩立像が描かれている。
その後、毛利家の女中が針を誤飲した際、地蔵菩薩の御影を飲み込んだ所、針を吐き出すことができ、吐き出した
御影に針が刺さっていたという伝承もあり、「とげぬき地蔵」の通称はこれに由来する。そこから他の病気の治癒改善
にも利益(りやく)があるとされ、現在に到るまでその利益を求めて高齢者を中心に参拝者が絶えない。(ネットから)
JR山手線の巣鴨駅を出たところが白山通り。昔、仕事でこの辺りも走り回ったが、記憶にありません。
巣鴨駅から白山通りにそって少し歩くとこんな石の碑がありました。
「もてなしの街すがも」 平成5年に建てられたのだ、ということは東京オリンピック決定の時の「おもてなし」はパクリ!
巣鴨駅から近い。歩いて行くと白山通りの向こう側に「巣鴨地蔵通商店街」の看板が見える。
商店街を少し歩くと高岩寺だ。駅から5分位だろうか。平日の11時前だからか歩いている人の数は少ない。
門まで来るとやはり人が多い。右側でお線香とタオルを買うために並んでいる。
本堂です。ここにとげ抜き地蔵尊(延命地蔵菩薩)が祀られています。
あれ、手前に人が並んでいます。
わたしは勘違いしていました。この洗い観音は別のお寺さんのものだと思っていたのです。
江戸時代最大の火事であった「明暦の大火」(1657年 )で、当寺の檀徒の一人「屋根屋喜平次」は妻をなくし、その
供養のため、「聖観世音菩薩」を高岩寺に寄進しました。
この聖観世音菩薩像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという信仰がいつしかうまれました。これが「洗い観音」
の起源です。
とげ抜き地蔵尊の本堂の方が閑散としているのに洗い観音は行列です。わたしも並んで水をかけ頭と腰を洗いました。
お参りが済みましたのであとは帰るだけです。
白山通りに面した商店街のアーケードの上に変なものが見られました。「すがも駅前太陽光発電所」と書いてあります。
建物の窓枠のように見えたのは「太陽光発電」のパネルだったのです。
奥様が、とげぬき地蔵にお参りに行こうと考えたのは多分わたしが少々認知症の気配があると感じたからではないかと
思うのです。とげ抜き地蔵尊にも洗い観音にもお参りしましたので、少しはご利益があるのではないかと思います。
この後、昼食を食べ、六義園に向かいましたが、それは次回に。
本日はこれにて。