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月遅れのお盆ですね! [ふるさと]

  きのうは13日。月遅れのお盆のお墓参りの日でした(所によって違うでしょうが)。

 子供の頃、お盆はお正月と同じように心待たれるものでした。理由は日常と違ってお客さんが
大勢来て、ご馳走が食べられたからです。いつもは食べることのできない銀シャリが嬉しかった。
 
 子供の頃のお盆を思い出しながら書きます。
 13日は朝から「盆棚」を作ります。
 深さが70cmくらいの木桶をふたつ並べその上に戸板を置き、その上に乾燥させた菖蒲を敷き
い草の茣蓙を敷きます。
 四隅には笹竹を立て上の方に藁でなった細い縄を周囲四方に巻き、その縄には色紙を切って
作った飾りを付けます。四隅の笹竹には生花や昆布が結んでありました。
 これで盆棚の準備は終わりで、次に仏壇から位牌を出して茣蓙の上に並べ、供物を並べ生花を
飾り、蝋燭やお線香を用意して完了です。
 
 午後にお墓に行ってお参りし、仏さんを連れて来ます。
 夜には門口で火を焚いて仏さんが迷わないようにしました。
 朝晩、仏さんには食事を供しますが、脚付きのお膳に睡蓮の葉を裏返しで敷き、その上に直接
或いは小さな器に入れて盛り付けしました。お供えする食事は毎食違いその日は何を供するか
決まっていました。
 15日の夜には餅を搗きます。勿論、お供えし我々も食べるのですが、搗く主目的は16日に
帰られる仏さんに持たせるおみやげなのです。小さく丸めたものです。

 待っていたお盆もあっという間に過ぎて、16日には仏さんは帰り、盆棚は片付けられます。
16日の夜にも門口で火を焚きますが、これは仏さんの帰り道を明るくするためです。13日の
火は迎え火(迎え盆)で16日の火は送り火(送り盆)です。 麦わらを燃したと思います。

 近年、お墓参りに実家に行かなくなりました。子供が大きくなり、母親が生きていないと足が遠くなります。
 
 
 この日(8月4日)は星川の光栄山法性寺さんに立ち寄りました。お盆が近いことへの思いと、花の寺ですから
なにか花が見られるだろうと思ったからです。 
 
 山門と大きな銀杏の木 
 
    
 
 
 残念ながら花は殆どありませんでした。今まで撮ったことのない灯籠を。 


         


 百合は境内のあちこちに咲いていましたが、秋明菊はまだでした。わたしの勘違いで秋明菊は10月でしたね。


 セミがたくさん居ました、おしっこをたくさんかけられました。
 写真は見にくいですが、ニイニイゼミだと思います。


 きょうの付け足し; オナガとヒヨドリ

 一昨日(8月12日)の午後遅く山で鳥が騒いでいるのでベランダに出てみると、団体さんできていました。今まで
こんなことはなかったのですが。なにをするために来たんでしょう?

 尾長ですよね。枝被りですが。

 



 尾長の後を追うようにやはり数羽で来た鳥が居ました。ヒヨドリの幼鳥だと思うのですが。 

 



 この時カメラには70-210mmのレンズがついていましたので,210mmで撮り、トリミングしました。

 きょうは午前中雨が少し降りました。もう少し降って欲しいのですが。それでも少しは涼しいです。昼にベランダの
寒暖計は29℃でした。、きのうまでは32~33℃あったのですが。

 本日はこれにて。


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つかの間のふるさとでした。 [ふるさと]

 昨日の朝は涼しかったですね、ベランダの寒暖計は23℃でした。今朝も同じようで、熱帯夜でないとほんとうに楽です。

 姉の葬儀で8日に出かけ10日に帰って来ましたが、その時実家の庭や畑で撮った花などをアップします。いつもと同じで9日も4時には目が覚め起きだして寝間着のままふらつきましたが、蚊がいないので助かりました。

 前日の雨も上がり草花は雨を含んで生き生きしているように見えました。蟻たちは朝ごはんの最中でした。

 美美さんはよく雫をうまく撮られています。真似をしようと試みたのですが、意外なことを発見。まん丸の雫は見つけられませんでした。いろいろ撮ったのですが上手いものなしなのでやけくその1枚をアップ。

 朝のうちは蝶もトンボも動きが悪いですね、わたしでも撮れました。

 ヤマトシジミ                            これは?

 シメトンボ 子供の頃はクルマトンボと云っていた。     ハグロトンボでいいのかな。大幅にトリミング。

 葉っぱがヒューケラのようだと思い撮ったのですが、別のものですね、何でしょう? 小さい花です。

 遠くから見た時、桐の花かな、トチノキかな、時期的にずれているなと思ったのですが、「キササゲ」でした。野菜のササゲのような実をつけます。ただし長いです。実を乾燥させ煎じて飲むと腎臓に効くと云われているようですが、漢方薬には入っていないそうです。

 暑い関東を離れて避暑気分を味わおうと行ったのですが、暑かったです。

 東日本大震災では実家のある市は最大震度7でした。しかし、この地域では犠牲者は一人も出ず、建物倒壊も少なかった。専門家は周期が短い地震だったからと云っています。
 実家も家具などが飛び倒れ室内はメチャメチャでしたが、家屋の倒壊は免れました。兄も今まで見たことがない液状化現象が見られたとも云っていました。
 実家も近隣も地震の傷跡はもう見られませんでした。津波と原発事故がなければとの思いが強いです。

 

 ふるさとを訪れる楽しみは一番が満天の星空を見ることでしたが、残念ながら雲が多く見られませんでした。何しろ往きは宇都宮から雨でした。
 またもう一つの楽しみは車窓から「安達太良山」「吾妻連峰(吾妻小富士も)」「栗駒山」を眺めることなんです。これらを眺めるとふるさとに帰るんだという気分になるんです。往きがダメなら帰りは見られるだろうと期待したのですが、雲が多く見られませんでした。

 朝、TVで全国の天気予報を見ますが、東北は特に気になります。まだ梅雨は明けませんが、稲作は今のところ順調とのことでホッと一安心です。

 疲れはようやく回復しましたが、わたしの今年の夏休みは終わったようです。

 本日はこれにて。


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姉の葬儀で久しぶりの帰郷でした! [ふるさと]

 姉の葬儀に出るためにふるさとへ行って来ました。
 8日に行って10日に帰って来ましたが、疲れたと見えてブログの更新ができませんでした。
 姉の死はここ2、3年、覚悟はしていたのですが。

 8日がお通夜で、9日が火葬から本葬、初七日、四十九日の法要を行い、納骨をし、お料理屋さんで食事をいただき、家に戻って身洗い。長い長い一日でした。
 亡くなったと電話で聞いたときは悲しくはありませんでした、来る時が来たのだと。
 火葬場に向かう準備で花を入れて頬を撫でてお別れをしました。
 様々の思い・場面が頭に浮かび、涙が止まりませんでした。この葬儀では涙は出ないと思っていましたので。

 姉は86歳でした。嫁いで60年余り。
 歳が離れていますから、しかもわたしが小学校に入学する春に嫁ぎましたので、姉弟という思いは殆ど無かったのです。しかし、その後ずーっとわたしのことを気にかけてくれていたようです。葬儀に集まった方々から聞きました。

 火葬場での最後のお別れのときも涙が止まりませんでした。

 十数年前、脳内出血を起こしたのですが、このときはお医者さんに恵まれて一命を取り留めました。
 5年前、脳梗塞で寝たっきりになり話すこともできなくなりました。自宅で2年の闘病生活の後、介護付きの施設で面倒を見てもらっていました。完全に意識がないのだと思っていましたが、手を取りながら話しかけると、手を強く握り返したいたとのこと。微かでも意識は最後まであったようです。

 胃瘻(いろう)で食物などを胃に直接入れていたのですが、1週間くらい前からそれも受け付けなくなったとのことで最後は苦しむこともなく静かに逝ったようです。

 実家の庭や畑で何枚か写真を撮ってきましたのでアップしようと思いますが、きょうは上の1枚と下の一枚で、その他は次回にアップします。

 なんの花を撮ってきたのか記憶に無いのですが、灯火のように見えなくもありません。あの世に旅立った姉の足元を照らして欲しいとの思いで。

 皆様のブログへの訪問も遅くなりがちで、お伺いしてもnice! の押し逃げになりコメントも残せません。お許し下さい。

 本日はこれにて。


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我がふるさとは緑なりき・・・(番外編) [ふるさと]

 虫の声が大きいですね!

 雨が続けて降り、気温も下がって虫たちは俺達の出番だと勇んでいるようです。
 ベランダの寒暖計は、一昨日は22℃、きのう今朝は23.5℃。熱帯夜から抜けだしたら朝寝ていても気持ちがいいですね。

 きょうは番外編、ホテルの周りの朝の散歩で撮った草花をアップします。

DSC_7621 白い花 480.jpg

DSC_7629 花赤白 480.jpg

DSC_7632 赤い実 480.jpg

 いつもの通り3時には目が覚めて、4時に風呂に入り、5時に散歩に出ました。
 長袖シャツを準備してきたのですが、それを羽織るほどの涼しさではありませんでした。あとでホテルの人から聞いたところでは、23℃だったそうです。

 次の写真は5時半の空、雲が多いです。お天道さんがチョット覗いています。DSC_7633 朝焼け2 670.jpg

DSC_7639 尾っぽ 480.jpg

DSC_7643 尾っぽ2 480.jpg

 朝日の当たる木道DSC_7651 mokudou 670.jpg

 秋が近いことを思わせる2枚です。
DSC_7642 葉っぱ 670.jpgDSC_7658 秋の気配 670.jpg

 クマザサ
    DSC_7659 笹 480.jpg
 夏の置き土産、紫陽花?
    紫陽花 480.jpg

 ホテルの周りにはブナの林。
DSC_7644 ブナ 670.jpg

DSC_7657 山 480.jpg 右の写真は、「ハイルザーム栗駒」の前から撮りました。ハイルザーム栗駒のあるところは標高600m。

 この山は「東栗駒山」だと思います。標高1434m。この山蔭に栗駒山があります。
 8月30日にアップした写真の中に真っ直ぐな道の先に土砂崩れしたところが写っていましたがこの山です。

 ハイルザーム栗駒から登山口のある「イワカガミ平」までの間で「内陸地震」のとき大きな被害がでました。
 イワカガミ平の標高1113m。 この向こうに「栗駒山1672m」がありますが、見えません。

 栗駒山は初夏には高山植物がたくさん花を咲かせ有名です。そして秋には紅葉で賑わいます。

 結局この日も雲に隠れて栗駒山は見えませんでした。

 これで旅行記はお仕舞いですが、大きな忘れ物をしました。それは行く前に考えていたのですが、子供の頃見た満天の星空を見ることでした。

 飲んで食べておしゃべりしているうちに完全に忘れていました。外界の灯に影響されないところで星を見たかった。

 栗駒山が見られなかったこととともに、また来いよという八百万の神々の思し召しかもしれません。

 4回に渡って書きましたが、読んでいただき有難うございました。


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我がふるさとは緑なりき・・・(3) [ふるさと]

 一昨日、待望の雨が降りました。ホット一息。
 そしてきのうは暗いうちから降りはじめ、降ったりやんだり。青空が見えるのに降っていました。
 それにしても昨夕、6時過ぎの雷にはびっくりしました!ピカッと光ると同時にドカン、近くに落ちましたね。

 涼しい朝です、今朝のわが家のベランダの寒暖計は22℃。きのうの朝は23℃。やっと熱帯夜から開放でしょうか。まだ暑い日が続くと予報では云っていますが。

 1泊2日の短い旅行だったのに、書くことはまだ続いています。 

  8月27日(月)、地元組とお別れして東京組は9時過ぎに出発です。
 4年後に喜寿の祝いをやろうなどと云いあいながら、それまで生きているかな、などとの声も。誰一人として死ぬなんてことは考えていないのに。

 わたしたちは「松島」に向かいました。
 この旅行に来る前に、会社の関係で松島に仕事に来る人から話は聞いていました。松島に行くと行ったところ、津波の被害が少なかったので前と同じだよ、と。
 本当は住宅街が津波に流され荒地となり、瓦礫の山が連なる石巻など被災地を見たかったのですが、時間の関係でかなわなかった。

 松島に近づいても、被災された情景は見えませんでした。

 11時半頃、到着。
 遊覧船の発着する桟橋に面した広場や道や商店はなにもなかったかのようでした。(2軒のシャッターが降りた店がありましたが)

 嬉しかったです。暑い中、月曜日だというのに大勢の観光客が歩いていました。中高年の団体、若い人達・・・特に若い人達が多いのに驚くとともに嬉しかった!食堂やおみやげ店は綺麗でした。

 湾内は静か、近く遠くに島が見えます。
 海岸に防風林のようなものがあったところは津波の被害が少なかったと云われています。
 松島は島々が津波の盾となり被害を小さくしたのです。
 
 五大堂
DSC_7676 五大堂 670.jpg

DSC_7667 松島4670.jpg
 福浦橋と福浦島
DSC_7672 福浦橋2670.jpg

 五大堂の前の道にタイルが埋め込まれていました。いつできたのか?
 樹の枝で日陰になり見えにくいですが、「津波避難場所 瑞巌寺(ずいがんじ)あと400m」 真ん中に波のイラストと方向を示す矢印。
DSC_7673 避難 670.jpg

 散策をしたりおみやげを買ったり昼食を取ったりのんびりと過ごしました。
 帰って気づいたのですが、賑やかな通りの写真を1枚も撮っていませんでした。

 1時半出発。「三陸自動車道」「仙台東部道路」「仙台南部道路」を経由し、「仙台南IC」で「東北自動車道」 に乗り一路東京を目指します。車内は昼飯でお腹が満たされ、あるいは疲れあるいはほっとした気分からか、眠っている人はおりませんでしたが静かでした。それぞれ何か考えていたのでしょう。

 仙台東部道路に入ってどれだけ走ったでしょう、窓外に目がいきました。
 そこには荒地ばかりで稲は一本もありませんでした。なにか植えてあるのかわかりませんがそう見えました。進行方向左側、海側です。
 走っても走っても同じ景色です。遠くに並木などが見えたところが海だったのでしょう。なんKm先でしょう?そうだ、この先に仙台空港があるのだ。

 TVで見たことを思い出しました。いま走っている道が防波堤になったのだ。ここまで海水は来たのだ。
 右側を見たら、黄色に色づいた稲穂がありました。

 荒地にも緑はありました。草が生えているようです。しかし必要とする緑、稲が植えられるようになるのに何年かかるのでしょう?

 前の晩、ぼそっと呟く人がいました。「被災したからといって、何十年かかろうと、自分でやるしかないんだよ。誰も当てにすることは出来ない(当てにする=これは方言だろうか、頼りにするということです) 。

 帰宅して、写真の整理をしようとして気づきました。この荒地となっているところの写真は1枚も撮っていませんでした。

 仙台南部道路に入りしばらく走ったところの右奥に昔小さな家を建てて住んでいました。その頃こういう道はなかった。
 そんなことを思い浮かべているうちに「仙台南IC」。これで予定通り6時には上野駅到着。
 と思ったのですが、目論見が見事に外れました。
 震災で傷んだ道路の補修工事で交通渋滞でした、それも4箇所!ひどいところは渋滞に入ってから出るまで1時間。

DSC_7691 月 670.jpg

 明日も暑い日であることを予言している青空と雲。もう月が出ていました。

 結局、予定の6時から2時間半遅れで8時半に上野駅に無事到着。そして解散。

 長々と書いたにもかかわらずお読みいただき有難うございます。
 見た目では「我がふるさとは緑なりき」ですが「・・・」で示したように大きな問題を抱えています。
 今回の旅行の趣旨は、みんなを訪ね元気づけ、少しでもふるさとにお金を落とそうと云うものでした。
 ふるさとのみんなは元気で笑顔で迎えてくれました、嬉しかったです。


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我がふるさとは緑なりき・・・(2) [ふるさと]

  9月になりました。
 しかし、所によっては猛暑が続き、熱帯夜が続いています。このまま暑い日が続いて、秋が来ずに冬になるのでしょうか。確か一昨年がそんな状態だったと記憶しているのですが。
 いよいよ日本は四季のある国ではなく二季の国になるのでしょうか。


 「ふるさとへの旅」を続けます。
 宿泊する「ハイルザーム栗駒」に午後5時に着きました。宮城県内に住んでいる人たちとの挨拶も簡単に済ませ、先ずお風呂です。
 大きなお風呂は気持ちがいいですね。泉質は「ナトリウム・硫酸温泉(芒硝泉)・低張性アルカリ性高温泉」という難しいものですが、透き通ったきれいな少し熱めの温泉でした。露天風呂もありましたがパス。

 宴会は6時半からということで、それなではと早速部屋に集まり旧交を温めました。今回地元からの参加者は、25名(女子13名、男子12名)でした。名札を胸につけましたが名前がわからない、顔を覚えていない人たちがいました。相手もわたしのことは「誰?」でした。
 話題は東日本大震災になりました。津波の被害を受けた人は来ていませんでしたが、津波直後を見た人たちの話にはただただ聞くばかりでした。

 6時半に集合写真を撮り、合計43人プラス先生1名での宴会が始まりました。この先生はわたしが中学1年の時の担任の先生で、卒業以来初めてお会いしましたから、懐かしかったです。

 宴会の席でも東日本大震災について語り合うことが多かったです。普通、こういう宴会ではカラオケ装置が用意されているのですから、次々と自慢の喉が披露されるものですが、9時過ぎに終了するまで歌は一切ありませんでした。場所を変えての二次会で何曲か歌われたようですが。

 津波の様子は、TVで何度も何度も見ています。しかし、地元の人達の話には迫力がありました。それはそうですね、津波で家が流されなかったとはいえ、近くまで津波が押し寄せる光景を見ていた人たちがいるのですから。このことを話していた彼の町で150人くらい亡くなったようでした。

 なんで早く逃げなかったのだろうなどと簡単に云ってしまいますが、そう単純じゃないんですね。
 大勢の子供達、教職員が亡くなった小学校がありました。
 災害時、学校では避難するマニュアルが有るんですね。校庭に子供を集め点呼を取り、親たちが迎えに来るのを待つ・・・ということがあるそうです。あとで考えれば点呼なんかどうでもいい、早く高台に走らせたほうが被害が少なかったかもしれないのです。

 津波の来るのが思ったより遅く、様子を見に戻って津波に飲まれた人も多かったようです。自動車を置いて逃げれば助かったかもしれないのに、それをせずに自動車の中で水死された人たちも。
 
 過去の最大の津波よりもなぜ高いところに家を建てなかったのだ?

 津波は真っ黒だ・・・ということを今回初めて聞きました。海の底の泥を巻き上げて襲ってきますからヘドロ状態だとのこと。これを飲んでしまったら助からない。津波の引き潮の凄まじさも聞きました。

 今までに経験したことのない地震で部屋の中はめちゃめちゃ。電気ガス水道ストップ。夜になって発電機を調達しTVをつけたら津波のニュース。自分の家のことはそのままにして親戚に車を走らせたそうです。ようやく辿り着いたら目を覆いたくなる状態。一瞬、生きていないと思ったそうです。近くで聞いたら公民館にいるはずとのこと、公民館で会うことができたそうですが、その時は公民館にはあちこちから避難してきた人たちがたくさんいたそうです。

 いろいろの話を聞いて思いました、神様は公平でない、2万人の人たちが亡くなりましたが、2万のストーリーがあるのだ、TVを見た程度で軽々しく云うもんではないな、と。
 
 どなたかおっしゃいました”天罰だ”と。天罰でしょう・・・でも被災された方々だけへの天罰ではありません、日本という国そして日本国民への天罰です。あるいは地球全体への天罰です。

 長くなりますので、きょうはここまで。
 取り留めの無い話に最後までお付き合いいただき有難うございます。
 次回は上野駅まで辿り着きます。

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我がふるさとは緑なりき・・・。 [ふるさと]

 今朝も宮城県で震度5強の地震がありました。旅行中でなくてよかった!
 
 8月26日(日)「同級生と行くふるさとへの旅」の始まりです。
 上野駅公園口に9時40分に集合し、10時にバスで出発のおふれです。

 早めに上野に着いたので久し振りに上野公園をぶらぶらすることにした。
 暑いです、それにもかかわらず美術館にはもう行列ができていました(まだ開館前)。特に、「ツタンカーメン展」の行列は1時間待ちでした。夏休み最後の日曜日で人出が多かったのでしょう。上野の森は美術館がたくさんありますね!
 
DSC_7584 gyouretu 670.jpg 

 わたしとしては早めに集合場所に行ったのですが、すでに全員集合しており、バスの出発も予定より早まりました。参加者は18名(女子8名、男子10名)。申し込み締め切りのときはもっと多かったようですが、その後本人あるいは連れ合いの体調不良などで少なくなったようです。我々の年代は明日どうなるかわかりませんね。

 早いといえば、バスが動き出して10分もしないうちにアルコール類のサービスです。ビール、日本酒、焼酎。翌日上野に着くまで飲み続けることになります。これがこの会の恒例なんです。

 東北自動車を快調に走ります。田んぼは黄色に色づいていました。
 暑さから少しでも逃れたいと思っているのに、青空に夏の雲です。道路に設置の温度計も33℃!
 
DSC_7595 kumo 670.jpg 

 予定通り東北自動車道「金成・若柳IC」を4時に降りて、西の方向、栗駒山に向かって約30km進みます。
 我がふるさとは草木は緑、稲は黄色に色づいていました。「我がふるさとは緑なりき」 なにも変わっていない・・・。
 
DSC_7605 tannbo 670.jpg  

 まだ水田地帯なのに車窓から山肌が崩れたところが見られるようになりました。「岩手・宮城内陸地震」で崩れたところです。
 2008年(平成20年6月14日)岩手県内陸南部で発生したマグニチュード7.2の地震で、当栗原市では6強の最大震度を記録している。この地震の特徴は建物被害が少なく、土砂災害が多かった。
 進むにつれ山が迫りカーブが続く狭い道になりました。
 
DSC_7609 gakekuzure1 670.jpg
DSC_7612 gakekuzure2 670.jpg 
DSC_7623 douro 350.jpg
 
 もうすぐ今夜泊まる「ハイルザーム栗駒」です。
 正面に山が崩れたところが見えますが、これも「内陸地震」で起こったものです。
 ここは栗駒山の手前の山です。ここまで来るとこの山蔭になって栗駒山は見えません。途中、高速道路から栗駒山が見えると思ったのですが、雲がかかって見えませんでした。
 
 走ってきた道が県道42号です。
 
 多くの犠牲者が出たのはこの道沿いで、この先です。
 
 
 
 
 ハイルザーム栗駒の被害も建物のひび割れなどでひどかったようで1年半の休業となったそうです。(東日本大震災のときは3ヶ月の休業)
 この宿泊施設は、旧栗駒町が立ち上げたのですが、現在は第3セクターが運営しています。宿泊施設にプールやアリーナが付属しています。
 
 
 
 
 
 
 今夜の宿泊はここ、くりこま高原温泉郷の「ハイルザーム栗駒」です。5時に到着し地元あるいは仙台に住む同級生たちと合流しました。
 
DSC_7616 hairuza-mu 670.jpg 
 ここの一角に「岩手・宮城内陸地震」で亡くなられた方々の慰霊碑がありました。
 地元の人、宮城県内の人、そして山形県、群馬県、石川県から来ていた人たちの名前が刻まれていました。
 19名。この内、二人の方はまだ行方がわからないそうです。
 
DSC_7617 ireihi 670.jpg 

 長くなりますので、きょうはここまで。
 参考までに「栗駒国定公園案内図」の一部をつけます。ハイルザーム栗駒は右端に載っています。
 
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新年会で、喋って飲んで! [ふるさと]

 きのう(2月5日)は昭和31年に中学校を卒業し、今関東に住まいする者たちの新年会だった。場所は山手線の御徒町駅の近く。集合時間は午後1時45分。

 折角東京に出るのだから早めに家を出て近くをぶらつこうと10時前に出発。
 11時半頃御徒町に着き、2時間時間があると不忍池へ。
 家を出る時は雲が多かったのに晴れて風もなく絶好の散策日和だった。
 枯れた蓮を眺め、カモたちを見ながら散策した。日曜のためか多くの人が訪れていた。
 勿論、弁天島で弁財天に幸せを願った。

 <不忍池へ行った証拠写真>

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 散策途中で案内地図を見ると近くに「重要文化財・東京都立旧岩崎邸庭園」がある。今まで寄ったことはないどころか知らなかった。

 <洋館北側外観>
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 庭園というから西洋庭園なのか日本庭園なのかどっちだろうと思いながらなだらかな坂を登って行ったら、西洋風建物が目の前に。
 
 ここは主に年1回の岩崎家の集まりや外国人や賓客を招いてのパーティー等に使用されたそうだが、イギリス人ジョサイア・コンドルの設計により明治29(1896)年に完成した本格的な木造の洋風建築なのだ。
 内部は写真撮影が禁止されているが、壁や天井や床が素晴らしい。明治期の上層階級の邸宅を代表する建物とのことだが一代で財をなした人が贅の限りを尽くしたといえるだろう。

 ジョサイア・コンドルは明治10(1877)年、日本政府の招聘により来日し「工部大学校造家学科(現・東京大学工学部建築学科)の初代教授に就任し、日本で始めて本格的な西欧式建築教育を行った。門下には、東京駅の設計で知られる辰野金吾、赤坂璃宮の設計者片山東熊など近代日本を代表する建築家がいる。

 <洋館南側>
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 旧岩崎邸庭園となっているから庭園は?
 よく分からなかった、広いことは広い。ヒマラヤスギの大木だけが目についた・
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 (以上の内容はパンフレットによる)

 さてきょうの本題・新年会。

 1時45分に御徒町駅北口に参加者全員集合。参加者は24名(女性9名、男性15名)。
 中学の同じ学年は7クラスあり1クラス50人ぐらいだったから350人の卒業生となる。関東近辺に何人ぐらい住んでいるか分からないが、わたしは100人に近いのではないかと思っている。
 現在は常時50人ほどと連絡がついているそうだがが、こういう集まりが好きでない人もいるから。

 立食式でなかったのでどうしても多くの人と話すことは出来なかった。
 こういう時、女性は気が利くんですね、ふる里のきゅうりの古漬けやお菓子、そして大変だったろうなと思ったのは搗きたての「ずんだ餅」と「海老餅」を持って来てくれた人がいた。こういうことは野郎は駄目だね。
 こういったおみやげが話しに華を添え、酒が進み、また話。

 話題は孫の受験のこと、健康のこと、ふる里にいる同級生の近況等々・・・だが、やはり一番は東日本大震災のこと。幸いなことに実家が大きな被害を受けたという話はなかった。

 午後2時から始まった会もあっという間の4時半でお開きに。

 この間に、秋にふる里へバス旅行しようかと云う話になり、栗駒山麓の温泉宿がいいなどと話が進み、秋は混むだろうから8月下旬はどうだろうと・・・決まりましたな。

 飲みながら考えた。関東に出てきて50年前後になるのだろうか、みんなそれぞれがそれぞれの街に住み着き、根が生えているもんだと思っていたが、それだけではない、ふる里にも太い根を切らさずいるんだ。

 こういう集まりは幹事が労苦を惜しまず段取りをしてくれるので成り立っていると思う。今回も有難うございました。 


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思い出すのは小春日和の景色。 [ふるさと]

 

  DSC_3376aps640.jpg

 12月初めに撮りました。柿だと思います、見たことのない形ですが。鶏の卵ぐらいの大きさでした。

 柿を見るとふる里を思い出します。

 その柿のある景色は、屋敷内の下草が枯れた柿の木のある景色、雪の降る前の小春日和の景色です。なぜか曇天でも雨降りでもないのです。

 両親が逝った歳を遙かに超えてしまいましたが、それに比例するかのようにふる里への思いが年々増しています。

 両親のこと、姉兄のこと。

 今年一年どうにか生きたという感慨がそうさせるのだと思います。

 そして、新しい年はどうなるのだろうと。


 今日は月一回の「山の手入れの日」です。作業後、お汁粉と豚汁で忘年会です。


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新米到着。 [ふるさと]

 16日、待ちに待っていた新米が宮城県の実家から届きました!

 専用の段ボール箱には「”自慢のお米” 栗っこ米 」と書いてあります。
 栗っこ米・・・くりっこまいは我がふる里の山、栗駒山にかけているのでしょう。

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 多分「ひとめぼれ」が30kg入っています。30kgじゃないな、玄米30kgを精米したものを送ってくるから精米分少し減っている。この30kgが運送屋さん泣かせです。

 農家直送のお米はうまいですよ。なぜか?私見ですが、混じりがないからです。市販されている米は品種が同じだとしても何軒の農家で作られたものが一緒になっているかわかりません。生産者が農家直送はウイスキーで云えばシングルモルト、スーパーなどで売られているものはブレンデッドということになるでしょうか。

 送ってもらったお礼に兄に電話したら、「放射能検査は2度とも検出されなかったから安心して食え」とのことでした。
 しかし状況は厳しいようです。売値が安くなるかもしれないと。

 毎年、関東の数軒のお宅に米を送っていた(売っていた)が今年は注文がないと云っていました。

 実りの秋、収穫の秋、うれしいはずの秋が・・・。

 新米を送っていただき有難うございました。大事に食べます。


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