三浦半島に集まって(上) [生きる]
12日は神奈川県三浦市の三浦海岸に集まりました。
集合場所は「オーシャンリゾートホテル マホロバ・マインズ三浦」というところです。チェックインが午後3時と招集状には書いてありましたが、わたしは4時近かったと思います。ほとんど全員が到着していました。
このホテルには驚きました。13階建てで部屋数が207室、でかい建物に驚きましたが、それ以上に驚いたのが部屋の作りです。一般的なホテルの部屋ではありませんでした。マンションの作りです。八畳間が二部屋続いてあり他に四畳半かな、勿論居間があり台所風呂トイレが付いています。マンションとして建てたものをホテルに転用?
私たちの部屋は12階。素晴らしい景色です。西に相模湾、東に東京湾その向こうに房総半島。房総半島がこんなに近くに見えるとは思いもよりませんでした。
宴会は6時からということなのでお風呂に入りました。しょっぱかった!泉質はナトリウム‐塩化物強食塩泉(弱アルカリ性高張性温泉)ということでした。広々としたお風呂は気持ちがいいですね。
風呂から出て景色を眺めながら喉を潤して宴会の始まりを待ちました。
相模湾の向こうに日が沈みました。シルエットですが富士山もきれいに見えました。富士山は赤くなるのを期待したのですが。
わたしは50年ほど前の学生時代に「新聞会」なるものに入っていました。
どういう時代だったかというと、今はあまり話題になりませんが「60年安保闘争」の頃です。国会前で樺美智子さんが亡くなりました。世の中は騒然としていましたが、毎日デモが行われていました。しかしながらその頃のデモは、ヘルメットを冠りませんでした、顔を手ぬぐいなどで隠しませんでした、角材を持ちませんでした。
新聞会は年に数回2ページや見開き4ページの新聞を発行していました。記事を書き(ほとんど先輩が^^)、広告を取り、印刷所にこもって校正をしたものです。
先輩諸氏の努力でこの会に席を置いたものがある年から集まるようになり、今年で28回目とのことでした。例年地元の山形県に集まっていたのですが、今年初めて関東での開催となりました。
今回集まったのは12名。一人遅くなる人がおりましたが、6時に宴会開始、顧問の先生や先輩で鬼門に入られた方々に黙祷して。12名の現在の住まいは7名が山形県内、静岡、東京、埼玉が各1名、神奈川が2名。
近況報告やいろいろの話題で盛り上がり何時に宴会がお開きになったか覚えていません。部屋に戻って二次会、飲んだり語ったり。この日参加した人の内2名の方が奥さんを病気で亡くされていました。
何年経っても先輩は先輩です。みんないいおじいさんの顔をしていながら学生時代の心を持っていました。
本日はこれにて(続く)
足尾銅山鉱毒事件と原発事故と。 [生きる]
きのうは暖かな一日でした。最低気温が10℃近くになると朝起きるのが楽です。そろそろ冬物を洗濯して仕舞い込んでもいいかなと思うのですが、少し気が早いでしょうか。
3月28日の朝日新聞朝刊の天声人語に、足尾銅山鉱毒事件を告発し、民衆の先頭で闘った田中正造氏が云った言葉が書かれていました。
真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし。
明治の人、田中正造氏(1841-1913)は国会議員の一人として、国権に抵抗し、民衆訴訟の代表としても、国家よりも国民の権利が大切なのだということの証としても、ただ一人、時の政権に対し、「鉱山閉山の必要有り」の意見書を提出した人です。
足尾銅山鉱毒事件は(皆さんご存知だと思いますが簡単におさらいです)、国権として「売れる銅」(重要な輸出品)を生み出す鉱山が、その開発により排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの周囲の山村が廃村になるぐらいの鉱毒の害を「垂れ流していても、それは国家としての利益に代えられない」として、国全体で被害の状況、被害者の訴えを国家権力によって隠蔽し、偽装していた事件として有名です。今、電気の供給について東電、国や経済界が全く同じようなことを云っているように思います。
銅山の開発が排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質を周辺にばら撒き環境に著しい影響をもたらしているとして、1890年代より栃木の政治家であった田中正造氏が中心となり国に問題提起するものの、精錬所は1980年代まで稼働し続け、昨年起きた東日本大震災の影響で渡良瀬川下流から基準値を超える鉛が検出されるなど、現在でも影響が残っているのです。(上記はWikipedia を参照しました)
自然に生まれ、人間の手で変化させられていなければ、それは土に帰ります。動植物は死後土に帰ります。土に帰らないものが人間の思惑から外れたとき、その土地は未来永劫に汚れたままです。
電気がなければ産業が成り立たない、経済成長が望めない・・・一時期の原発をなくそうという言動が段々風前の灯になっているように思います。なし崩しに原発が稼動し続けるように思われます。地震や津波による破壊だけでなく、何らかの事故で放射能がもれるかも知れない、使用済み燃料棒はどう処分されるのか、何十年後の廃炉はどうするのか・・・地球を破壊する原因が山積みしているといえるでしょう。
直ちに原発を停止することはできないにしても、代替エネルギーへの変換はやらなければと思うのですが、その将来への道筋が見えて来ません。
昨年の福島第1原発事故が報じられて以来、原発事故と足尾銅山鉱毒事件のことが二重写しになって頭から離れません。足尾を訪れた人は目にした荒れ果てた山々の風景を忘れることはできないと思います、近年植樹がなされていますが。
放射能汚染関連のニュースがが毎日のように報じられていますが、なにも知らないかのように草花は芽を出し、今年も生きようとしています。
右の写真は、月下美人のシュートです。まだ部屋の中にいますがいつの間にか新しいシュートを伸ばしていました。
<蔦>
<南天> <ヤブラン>
きょうの特別付録;
気が滅入ることばかりですが、心を明るくするようなワンコたちと公園で会いました。
全員がなかなか一緒にカメラ目線になってくれませんでした。 いつまでもいつまでもこのように散歩ができる国であって欲しい。
今になって悔やんでも後の祭りだよ! [生きる]
皆様のブログにお伺いできないでおります。
わたしのブログに不具合があり、現在、tigris3a さんのアドバイスを受けながら苦闘しており、その方に時間が取られてしまうからです。解決を見ましたらお伺いいたしますので、お許し下さい。一日おきのアップだけは続けたいと思っております。
散歩をしておりますと、多くの方々とすれ違います。顔なじみになって挨拶を交わす人もおります。
わたしはいつもは8時半頃には家を出ます。その理由は朝の斜めから指すお天道さんに当たる樹木や草花に興味があるからです。写真には「光」が大切だと思っているのですが、思うようには撮れません。
話は戻って、単なる散歩ではなくウオーキングという方がいい方が多いですね。ご夫婦(中高年)だったりお一人だったり友達と一緒だったり。リハビリの方も。
時々お会いするご婦人がおります。脳梗塞か何かで半身が不自由ですが、杖をつきながら中型犬と小型犬と一緒に歩いています。小型犬はちょこまか前になったり横にそれたり忙しいですが、中型犬はご主人のそばを離れず同じ速さで歩いています。お会いするたびにいい光景だと思います。
健康に注意して元気に生きようという人が多いんですね。
最近気になる言葉があります。「税と社会保障の一体改革」。野田総理が盛んに云っていますが、わたしにはこう聞こえます。
増税します、年金は減らします、高齢者の医療費は増やします。
若い人達の負担が増えるのは避けたい・・・という理由もあるようです。負担になる高齢者は病気になっても治療を受けず早く天国に行けという事なんですね。金をかけずに病気を治すお医者さんや病院は無いんですね。
貧しい生活を送らなければならないのは自己責任です。いい大学に入っていいところに就職し高給をとって 老後に備える・・・今頃再確認をしても遅いですね。
そんな寒い曇り空を心に詰め込んで、歩きながら目についたものを撮っています。ひとときの気休めになります。
華やかな花を見せてくれる「ツツジ」。いま、道端には紅葉したツツジが朝の陽を浴びてきれいに見えます。
野の花が好きなわたしは植え込みもきちんとしたものより雑然としたところが好きです。
時々お会いするニャンコ。この近くの飼い猫だと思うのですが、朝日の中で日向ぼっこ、寒いだろうに。警戒してかわたしから目を離しませんが逃げもせずに写真を撮らせてくれます。
とりとめのない内容で失礼します。
きょうのタイトルは何を書いてあるかわかりませんね。「今になって悔やんでもあとのまつりだよ!」と書いたのですが、「悔」が四角になっています。このごろこういうのが多いように思うのです。
追記:いま(13:48)見たら「悔」になっていますね。最初は文字の在庫がなかったが入荷したのではめ込んだのかな?
頑張って生きる。 [生きる]
時間の経過がものすごく速い。
きょうはもう正月の3日。
わが家は元日の朝、氏神様にお参りし、2日は箱根駅伝の往路を応援し、それで正月はお仕舞いとなる。
3日ともなるとおせちを詰めたお重には空きが多くなり、同時に食べ過ぎのみすぎで胃腸薬のお世話になる。餅が好きなので、あんこ餅もお雑煮も、食べ過ぎで体重が増加するが正月ぐらいは気にしないで食べたいだけ食べることにしている。
今年も初詣は「星川杉山神社」。車で5分余りの近さで混みあわないのが最高である。
東日本大震災で鳥居や灯籠が倒れ壊れたがきれいに修理されていた。
「茅の輪」を∞の字にくぐりお参り。2礼2拍手1礼でお参りする。が、この流れの中のどこでお願いごとをすればいいかいつも疑問に思う。しかし、難しく考える必要はない、2拍手の次に手を合わせてお願いをすればいいのだと最近やっと思うようになった。
神前ではお願いごとをすると思っていたが違うらしい。まず感謝し、次に例えば子供が欲しかったら「今年は子供をつくります」と神様に努力することを誓い、お力添えをお願いするのが本筋と聞いた。誓いをして、ということは目標を立て努力することを神様と約束するのだ。
今年も熱い甘酒を頂きながら、大木に紛れるようにして下界を見ている「竜」にご挨拶。
わたしは竜あるいは「タツノオトシゴ」に見えるのだが、連れ合いはプードルだという。
きのうは「箱根駅伝」の往路を「花の2区」の「権太坂」の始まる所で応援した。特別に応援する学校はない、全部に応援する。が、地元ということで「神奈川大学」が出場すればどうしても力が入る。
それにしても勝負事は力のあるなしでこうも差がつくものかといつものごとく驚く。
早稲田大学が一位で先行し、ここは2位グループ。この順位でこれだけ団子状態はあまり見たことがない。
この後、一番左の東洋大・設楽が抜け出し、早稲田大を抜いてトップにたち、山登りのスペシャリスト・柏原が区間新で走り往路新記録で勝った。
一生懸命、青春の一瞬、輝いて見える。
一生懸命・・・現実でも本を読んでもTVドラマ、ドキュメンタリー、映画等々を見ても生きることに一生懸命、何かに一生懸命の姿に接する。いいなあと思う。
一生懸命生きよう、まだ遅くはないと思って。
新年のご挨拶。 [生きる]
新年のご挨拶を申し上げます
昨年は大変なことが日本を襲いました。
皆様の悲しみ、ご苦労をお察しいたします。
私どもが住む横浜の保土ヶ谷公園では
楠木の大木が腐朽菌などに侵され、倒れる
危険性があると伐採されました。
しかし、その根元にはひこばえが生え
生長しています。将来大木になる望みがあります。
地震や津波の残したもの、放射能のこと、
難題が山積していますが、
希望を持って新しい年を迎えたいと思います。
新しい年が幸せな一年でありますように
平成24年 元旦
上が今年の年賀状の文面です。
今年の年賀状をどう書くべきか悩みました。
「おめでとう」とか「謹賀新年」とか書けません。年賀郵便のはがきも使うべきかどうか。
リタイアしてからの年賀状の宛先はほとんどわたしが生まれ育った宮城県に住んでいる方です。関東に住んでいる方も宮城県出身か東北に関係のある方です。
幸いなことに亡くなられた方がいるとは聞こえて来ませんでしたが、家屋など相当に被害を受けています。放射能による農産物への被害も云々されています。
なんとか希望を持って欲しいとの思いから上の文面になりました。
今朝はお雑煮を祝ってから氏神様の「星川杉山神社」に、新年を迎えられたことへの御礼と今年一年つつがなく暮らせるようにとのお願いに行ってきます。(杉山神社を勝手にわが家の氏神様にしていますが、神明社が氏神様なのかな?)
そうそう、餅は暮れに実家の兄が例年通り送ってくれました。箱にはあんこもきな粉も入っていました。その前に米も届いていました。連れ合いの実家からはラ・フランス、みかん、りんごが送られてきました。本当に有難いことです。
大晦日にはアルコールでは一番好きな日本酒(連れ合いが奮発してくれました)をぬる燗で頂き、NHKではなくテレビ東京の歌番組を見ていました。 毎年のことです。わたしにとっては演歌と云うか歌謡曲と云うかその方が身に馴染んだものなのです。
メロディもそうですが、長く歌われてきた、歌い継がれて来た歌は歌詞がいいんです。素晴らしい日本語です。歌に私自身の歴史が刻み込まれています。 チョットだけNHKも見ました。長渕剛のとこだけ。
横浜港の船の汽笛を聞いてベッドにもぐり込みました。
今年も近所の散歩の途中で目にしたものを記事としてアップするブログになると思います。上の記述でも分かる通り年寄りで代わり映えしないものになりますが、よろしくお願い致します。
皆様にとりまして今年は良い年でありますように。今年こそ。
下は保土ケ谷公園の楠木の「ひこばえ」です。年末に撮りました。
元気に育っています。
今年を忘れない! [生きる]
藪、林、新しい年はここからなにがでてくるかなー?
今年もいよいよ押し詰まりました。PCのマウスを持つ手が冷たいです、指なし手袋をしていますが。
TVは連日今年を振り返っています。
その多くは東日本大震災であり、原発事故です。
しかし、今年日本に襲いかかってきたのはそれだけではありません。台風や大雨、大風で亡くなった方がたくさんいらっしゃいます。
報道では亡くなられた方や家を流された方を”被災者”と云っています。被災者・・・地震や台風などの自然災害にあった人。
しかし、わたしは”犠牲者”と呼びたい。犠牲者・・・事件や事故により、生命を失うなどの重大な損害を受けた人。
犠牲とはある目的のために身命や大切な物、事をささげること。
ある目的のために、(昔は人身御供という言葉がありました)犠牲となったのです。どんな目的のために、誰のために大切な生命や土地や家を捧げたのでしょう。わたしは日本国及び日本人のために犠牲になったと思っています。
逝ってしまった方々、重い荷物を背負ってこれから生きていかなければならない方々を、わたしは決して忘れてはならないと思っています。
年末には一年を振り返りいろいろ考えるのですが、今年は特に重いそして悲しい心でいっぱいです。
旧聞になりますが・・・
TVといえば、クリスマスプレゼントとして連れ合いからWOWOWが見られるようにしてもらいました。連れ合いはすでに見ております。連れ合いのTVは2台目で月千円、私は3台目で月千円。これでわが家は3台契約したことになります。
連れ合いと一緒に見ればTVの購入費も1台で済み電気代も少なくて済むのですが、見るものが全く違いますから無理です。
バラエティー番組など殆ど見ない私、TVをあまりみないのは見たい番組がないからだろうと考えてプレゼントしてくれたようです。これで大好きな映画が見られます。
連れ合いになにかプレゼントをしようと聞いたところ「今年はシステムキッチンの入れ替えなどリフォームをしてもらったから、それがプレゼント」と云ってくれました。財布の軽いわたしはホッとしました。
今年も私のブログに多くの方々にお越しいただき、「読んだぞー!」「ひとこと」をたくさん頂き有り難く御礼申し上げます。
私のブログはいうなれば「日記」。それが皆さんに読んでいただいて嬉しかったです。励みになりました。
来年も同じような内容になると思いますが、どうぞ宜しくお願い致します。
新しい年がいい年でありますように。
これにて今年のブログのアップは御仕舞とします。
皆様には何かとお忙しい年末年始、「ひとこと」欄は閉じておきます。
健康に留意の上、(もう一度)皆様には「良いお年を!」
すすきのように。 [生きる]
柳に雪折れなし。
すすきは?
今年は大変な事が起こりました。
年末になって、いろいろ考えてしまいます。そして、年の始めにやりたいと思っていたことがほとんどできていないことに気づき気持ちが落ち込みます。老い先短いというのに。
新しい年も同じことの繰り返しとなるでしょうが、どうするかゆっくりと考えながら今年を送ります。
すすき。
老いるほどに美しくなります。風とお天道さんに助けられて、美しいです。
わたしも連れ合いや子どもや姉兄そして多くの方々に助けられながら、すすきのように美しく老いたい。
きょうの付け足し ;
保土ケ谷公園の谷間のイチョウ並木、想い出とともに・・・。
10.8.11
10.12.3
新しい保土ケ谷公園で楽しみを見つけます。
自然治癒力 [生きる]
きょうは「冬至」。
今朝、TVを見ていましたら「夏至」と「冬至」で昼の長さがどれだけ違うか話題になっていました。
今まであまり考えたことが無かったのですが、東京で冬至と夏至の昼の長さの違いは5時間だそうです。札幌では6時間余り、沖縄では3時間余りだそうです。地域によって異なるというのが面白いですね。
今年も大震災など多くのいつまでも記憶に残ることがありました。
わたしは9月21日の「台風15号」も今までにない風の強さで記憶に残っています。
自称・わが家の山でも木が折れました。根元から倒れるというのではなく、途中から折れたのです。この地に住んで30年、初めてのことでした。
結局サワラ7本が処理されました。下の写真はその残骸です。
(この株は長径で0cmくらいありました)
人間には自然治癒力があると云われています。
西洋医学は対症療法で、東洋医学は自然治癒力を最大限に生かした療法と勝手に考えています。
そこで考えたのですが、自然こそ自然治癒力があるのではないだろうかと。
保土ヶ谷公園も大きな被害を受け、倒木などが片付かない状態です。
下の写真は紅葉が終わりかけた谷間の樹木です。
この谷間はU字型になっていて、ちょうど東寄りの風が通り抜けた地形だったようです。何本かの樹木が根こそぎ倒され枝は折れ葉っぱの縁はチリチリに。
今年の紅葉は見られないなと諦めていたのですが、例年通りでは無かったとしても楽しませてくれました。
台風後、すぐに葉っぱが茶色に変色し落葉した樹木もありましたが、頑張ってくれました。これも治癒力を持っている証拠ではないでしょうか。
しかし、自然の治癒力ではどうしようもないこともあります。
例えば、山の樹木を倒して道を作ったり大量のコンクリートの建物を建てたり、川をせき止めてダムを作ったり、地震を起こしたり。この時人間は叡智を集めて自然の手助けをしなければならないと思います。
次の写真のような情景を見ると、来年に希望を持つことができると思うんです。
きょうの付け足し;
「おや、熊さんお久しぶり。おかわりありませんでした?」
「お陰様で忙しくやっていました」
「谷間のご隠居も元気ですか」
「先日、久しぶりにご尊顔を拝しました、元気でしたよ。
いつもは孫がどうした、嫁がどうしたということばかりなんですが・・・」
「そうそう、大分前に馬鹿な政治家には付き合いきれんから政治に関する話はしないと云っていたんですよね」
「でも、この間はぼそぼそと云っていました」
『なんで沖縄は独立しないんだ、独立したほうがみんな幸せに暮らせるんじゃないか。
西洋の国では民族問題を含めて分離・独立運動が多いよね』。
心身共に「老い」がいっぱい。 [生きる]
今年も残り少なくなってきました。
今夜は忘年会で街は賑わうことでしょう。
子供のころは年齢を満で数えませんでした。「10歳」は「かぞえ10歳」でおおむね満での年齢より一歳多く、歳は誕生日に増えるのではなく正月に一歳増えました。そのため大晦日を「お歳取り」と云いました。その頃カレンダーは「暦(こよみ)」と云っていました。子供のころの記憶に残るようになった頃はわが家は「旧暦」で生活していました。「新暦」はいつから実施されたのでしょう。
調べて見ると、明治5年(1872年)12月2日に切り替えが行われ、翌日が明治6年1月1日になったということですが、なんで大東亜戦争敗戦後にも旧暦が使われていたのか、疑問です。
こんなことが思い出されるのはもうすぐ正月を迎えるからです。今の正月は歳を取るわけでもなく、新しい年を迎えるだjけですから老人にとっては心の負担が少なくなったと思います。
山田風太郎著「あと千回の晩餐」(朝日文庫)が手元にあり、時々引っ張りだしては拾い読みしています。
どんな時に読むかというと「歳」とか「老い」についての事柄が脳を刺激したときのようです。そして、拾い読みし、なるほどと納得したり、そんなバカなと云ったりしているのです。
こんなことが書いてあります。
死は諦念を持って受け入れても、老いが現実のものとなったときはるかに多くの人が、きのうきょうのこととは思わなかったと狼狽して迎えるのではあるまいか。
とか
前夜に何を食ったか、あくる日忘却しているのである。思い出そうと首をひねっても、何としても思い出せない。
わたしもことあるごとに老いを実感しあたふたとしています。挙げ句の果てに、ガンになってもいいから痴呆症になりたくないと工夫を重ねることになります。
そんな中のひとつ。考えるということは脳の活性化に大変有効だといわれています。上の前夜の食事ではありませんが、わたしは翌日の夕方に前夜の夕食で何を食べたかメモしています。ところが24時間しか経っていないのに何を食べたか思い出せないことがあります。テーブルにどんな皿が並んでいたかとか、ソースはドレッシングは何を使ったか等々いろいろのことを考えて、それでも思い出せないことがあるのです。
聞くところによると、答えが出なくても間違っていても、考えるという行為が脳の活性化に繋がるというので毎日必死に考えているわけです。
まもなくお正月を迎えるということから変な方に話しは進んでしまいました。それも「老い」が片時も頭から離れないからでしょう。
めでたさも 中ぐらいなり おらが春 一茶
きょうの付け足し;
一昨日、ベランダの前の梅の木に木製の餌台と牛乳パックで作った餌台を設置しました。
木製の方は全くのぶっつけ細工です。笑わないでください。
以前は下の台だけで上はオープンでした。すると鳩やヒヨドリが来て餌台を占領するのです。それを防ぐために屋根のような邪魔板を付けたのです。まだ隙間が多いかも知れないので様子を見て改善します。
取り付けて2日経ちましたがシジュウカラやメジロが来る様子はありません。山でも鳥の声がしません。
去年もそうでした。2~3日後には来てくれるでしょう。
多くの種類の野鳥が来てくれるといいのですが。
凄い降雨量。 [生きる]
台風12号は大きな爪痕を残して去りましたが、近畿東海が特にとんでもない雨量だったんですね!
なんでこんなに降ったんでしょう?
台風の進む速度が遅いから。
なんで遅いんでしょう?
高気圧が立ちふさがっているから。
なんで立ちふさがっているんでしょう?
・・・・・・
このように「なんで?」を5回繰り返すと本当の原因が分かるんですね、事故や機械・装置の故障は。自然のことはそうはいかないのかも知れませんが、もう少し原因が知りたいと思うことがあります。知ったところでこれからの台風そのものに手を打てるわけでもありませんが。「湿った空気 近畿に集中」と新聞の見出しにはでていました。
災害に遭われた方々に、お悔やみとお見舞いを申し上げます。速い復旧をお祈り致します。
今住んでいるところは何年も災害らしい災害がありません。八百万の神様に感謝感謝です。
そう云えば夢空さんのところも大変だったはず。大きな災害になっていなければいいのですが・・・。3日の夢空さんのブログでは与作さんが消防団で走り回っていると書いてありましたが・・・と思っていたところ昨夕(5日)コメントに書き込みをいただきました。「凄い雨量でした・・・・・」と。「・・・・・」が何かがあったことを示していると思いますが、大災害に見舞われなかったと理解することにしました。よかったですね。
「凄い雨量」は新聞等によりますと、凄いんですね。4日までの三日間で奈良県上北山村で1652ミリ、三重県大台町で1519ミリ。三日間でですよ!いずれも年間降雨量が2千数百ミリ。こういうのを「天井が割れた」と表現すればいいんでしょうか。
皆さんのブログにお伺いするのにGoogle Chrome のリーダーに登録し、更新されればリストアップされるようにしています。
一つ疑問があります。皆さんが更新されてから2日とか3日経ってからリストアップされることがあります。ブログに記されている投稿時間を参照しているのですが、1時間もしないうちにリストアップされることもあるのになぜでしょう。どこが(ブラウザが?so-net が?わたしのPC が?)不具合なんでしょうか。
それにしてもso-net さんは重いことが多いですね。PCの前に座っている時間が長くなります。節電によくないです。
きょうの付け足し;
天気予報によれば、台風12号が去った後も30℃を越す日が続くようです。湿度が低ければしのぎやすいのですが。
夏の花(とわたしは思っているのですが)の「夾竹桃」と「桜の葉」が季節を取り合うようにしてせめぎ合っています。