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ヨシノヤナギ [野の花、草]

  きのうは小寒でした。寒の入りと聞くといままでも十分に寒かったですから、これからが本番ですかと念を入れたくなります。暑さ寒さも彼岸までと云いますが、彼岸はいつだとカレンダーを見てしまいます。

 きのうも寒かったです。ベランダの寒暖計も6℃まで上がっただけ。こんな時期には10℃あると空気が暖かく感じるのですが。

 朝日新聞には日曜版というのでしょうか「The GLOBE」という16ページのタブロイド版が第1・第3日曜日に折り込まれてきます。1月5日には「みんなのSUSHI」ということで世界の寿司事情が書かれていました。

 その中に寿司の歴史が書かれていましたが、気になることがありましたのでその一部を転記します。

 GHQの統制くぐった東京のすし

 江戸のすしが完成した後も、各地に独自のすし文化があった。なぜ、江戸風の握りずしが全国に広まったのか。1947年に戦後の食糧難で多くの外食業の営業が禁止された。しかし東京のすし組合は連合国軍総司令部(GHQ)との交渉に成功、「握りずし」の営業許可を得た。客が1合の米を持参すると10個のすしに加工する仕組みだ。他の地域でもこの仕組みで営業するようになり握りずしが全国区になった。

 すしにGHQが出てくるとは思いませんでした。もう一つ気になったのは、客が1合米を持っていくというところです。

 わたしらの先輩たちは敗戦後修学旅行に行くとき米持参だったのです。わたしは経験していませんからどれくらいの期間米持参のシステムだったのか。衣食住全てが不足していた時代を知る人は少なくなっています。

 敗戦後の食糧難の時、親は自分の喰う分を減らしてもこどもに食わせた。甘やかしているのではない、生かすために。そこに親子の強い繋がりがあったのでしょう。大分前から飽食の時代と云われて久しいですが、好きなモノを腹いっぱい食べられることは幸せなことなんでしょうね。

 

 ヨシヤナギ  ヤナギ科落葉高木とは云っても川のそばにあって幽霊様がその下に立つしだれ柳と同類だとは
          とても思えません。そろそろネコヤヤギが可愛い芽を出します。
          樹高20m,目通りの幹の直径70cmはあります。樹齢は? 

 ここ保土ヶ谷公園は元々大東亜戦争の際に計画された防空大緑地で、敗戦後1949年に完成した球場を手始めに神奈川県で初めての運動公園として整備されてきました。

 したがってこの「ヨシノヤナギ」は敗戦前に植えられたのか後かはわかりませんが、公園の変遷を見てきたのでしょう。

 長年暑さ寒さをガッチリと受け止めてきた樹肌はそれを物語るように荒々しい。 

 公園整備ということで大木が伐られることが多いですが、一朝一夕で育つものではありません。できるだけ大木を活かして整備をしていただきたいです。

 本日はこれにて。


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コメント 7

馬爺

お早うございます。今日も寒い朝を迎えましたね。
今日から仕事で巣今日は行事の後仕事が始まります。
by 馬爺 (2014-01-06 07:33) 

今造ROWINGTEAM

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
本年も今治造船ボート部を宜しくお願い致します。


by 今造ROWINGTEAM (2014-01-06 08:46) 

せつこ

おはようございます^^
1合で10個・・・寿司のお話、面白かったわ(^^♪
大きいヨシノヤナギですね。
by せつこ (2014-01-06 08:50) 

okko

戦後の食糧事情は、悲惨でした。学校の帰りに蝗を捕まえて来て、と母に頼まれたり・・・・飽食も極まれりというご時世、考えなくてはいけませんねぇ~。
by okko (2014-01-06 16:21) 

koh925

貧しい生活でした
初めて寿司を食べのは覚えていませんが、20歳を過ぎてからでしょう、
ハンバーグもスパゲッティも成人後でした
by koh925 (2014-01-06 17:04) 

夏炉冬扇

こんにちは。
ヤナギは川土手の強化にとても有効な植物だったそうですが、近年さっぱり見かけなくなりました。
by 夏炉冬扇 (2014-01-06 17:25) 

斗夢

◎ 馬爺さん
    こんばんは。
元日、二日と暖かでしたがきょうも寒むかったですね。
新しい年の始まり、心も新たに出発ですね^^。

◎ 今造ROWINGTEAM さん
    明けましておめでとうございます。
目標達成のために、新たな決意で頑張ってください。
本年も宜しくお願いいたします。

◎ せつこさん
    こんばんは。
こんなことがあったんですね。
しだれやぎやネコヤナギしか知りませんでしたから、でかいものもあると知ってびっくりです。

◎ okko さん
    こんばんは。
わが生家は水田が主な農業でしたが、銀シャリは食えませんでした。盆と正月だけ。供出という名目で強制的に持って行かれました。
その頃の癖なんでしょうね、いまでも食べ物を残すことができません。

◎ koh925 さん
    こんばんは。
こういったものは見たこともなかったです。
小学校低学年の頃だと記憶しているのですが、親が打った手打ちうどんを豚肉の出汁で食べた時の事が忘れられません、うまかったーーー!

◎ 夏炉冬扇さん
    こんばんは。
そうなんですか。シダレヤナギもネコヤヤギも川や堀の傍にありましたね。
いまはコンクリートで固めるので柳は必要ないんでしょうかね。


by 斗夢 (2014-01-06 19:01) 

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