続・英連邦戦死者墓地を訪ねる。 [考える]
訪れる人も少なく(4、5人にお会いしただけ)静かだった。いや、蝉の鳴き声がかまびすしく、風の音がやけに耳に残った。
きのうからの続きです。
この墓地は、「英連邦戦死者墓地委員会」が維持・管理している。世界100カ国に墓地があり委員会があるという。
この墓地は、1945年、オーストラリア戦没者のために開かれ、その後、日本中の捕虜となっていた戦死者が日本国内で唯一のここに集められた。
草丈3cm以上の芝生はきれいに刈られスニーカーが沈み込む。墓碑の脇には一株ずつ草木が植えられている。
若い(20歳前後が多い)彼らはここに葬られて何を思っているのだろう。
やはり国の犠牲にしてしまったということだろうか、来日時にエリザベス女王、ダイアナ妃、サッチャー首相が訪れている。
この墓地を見たとき、戦病死した軍人・軍属が祭神である「靖国神社」のことを考えてしまった。死んだ将兵は英霊と呼ばれ、祭神となって祀られる。
好きでない。国事に準じた御霊が祀られると云うこと、そこには国の犠牲になったとは云っていない。軍事裁判で死刑になった将兵を「昭和殉難者」と呼んでいる。祀る基準はあくまでも国側の軍人・軍属だけなのだ。
そこに神として祀られることをヨシとする方々は祀ってもらえばいい、祀ってもらいたくない方々はやめてもらえばいい、という自由もないようだが。
夫を、父を、息子を戦場に送り出し、空襲の炎のなかを逃げまどった多くの人びとも存在する。
犠牲になった軍人・軍属訳約230万人、一般市民約80万人、合計約310万人。この膨大な屍の上に今の日本があり、わたしがいる。
現実に思いを馳せ、周りを見渡したら、広大な山林の面影か見上げるような大木があちらこちらに目についた。
木々を眺め、ほっと一息ついて帰りしな入り口で振り返り帽子をとり頭を下げた。思った。
人と人が殺し合う、国民が国の権力者の犠牲になる、戦争は絶対してはならないことだ、未来永劫無くならないと思うが。
わたしに何ができるだろう、手を合わせ祈ることだけだ。