秋色めいてきました! (8月4日) [保土ケ谷公園]
きょう15日は大東亜戦争が終わった日ですね。
わたしは米国に宣戦布告した1941(昭和16)年に生まれ、1945(昭和20)年敗戦のときは4歳でした。戦争をしているという微かな記憶は大人の話の端々から感じ取っていただけでした。
わたしは米国に宣戦布告した1941(昭和16)年に生まれ、1945(昭和20)年敗戦のときは4歳でした。戦争をしているという微かな記憶は大人の話の端々から感じ取っていただけでした。
が、ほとんど記憶にありません。同じ年頃でも、海外から引き上げてきた人や大空襲で逃げ惑ったりした人は記憶にあるでしょうが、農村では爆撃もなく、食料不足も子供の腹にはあまり関係がありませんでした。
それから70年、わたしはある意味幸せな時期に生まれ育ったのだと思っています。
政治で思い出すのは「貧乏人は麦を食え」「月給二倍論」「日本列島改造論」などですが、日本は焼け野原から見事に立ち上がったんですね。そしてバブルを経験し、失われた10年とか空白の20年とか云われてこんにちに至っています。
こうしてみると、政治とは経済なんですね、経済的に潤えば成功した政治と云われるようです。
こうしてみると、政治とは経済なんですね、経済的に潤えば成功した政治と云われるようです。
わが家に「五級スーパー」なるラジオが来たのは敗戦後何年してからだったでしょう。勿論電話はありませんでした。今とは雲泥の差です。技術の進歩は凄まじいものです。
でも思うんですよ、人間は経済だけで幸せになれるのだろうかと。確かに経済が発展していたときは、若いということもありますが、夢があり希望があり、がむしゃらに働いたように記憶しています。今の若い人もそうでしょうね。
でも思うんですよ、人間は経済だけで幸せになれるのだろうかと。確かに経済が発展していたときは、若いということもありますが、夢があり希望があり、がむしゃらに働いたように記憶しています。今の若い人もそうでしょうね。
老い先短い今は、夢も希望もありません。ただ一日一日を身の回りを見つめて大事に生きていこうと思うだけです。
夾竹桃
楓たち 葉っぱの色が変わり始めたように見えるのです。
木の名前は分かりません。紅葉したのではなく年中この色だと思います。
色づいてきた桜とパンパスグラス。
キバナコスモス
仏様もきょう或いは明日お帰りになります。
南方のジャングルには今だにそのまま打ち捨てられている遺骨があるんですね。これから収集することは難しんでしょうね、それでもそれぞれの
家庭では親族が忘れないで手を合わせているんでしょう。靖国で神にならなくてもいい、親族が忘れないでいてくれるだけでいいと思っているでしょう。
本日はこれにて。