むかし住んでいたところに思いを馳せて。 (7月19日) [東京散歩]
昔、このような高温が出ると、飛んでいる鳥も落ちる、と云いませんでしたか。
ついてでしょうね。猛暑についてはエアコンを使わないと多くの死者が出ると云われています。
エアコンを使うことが奨励されているんですが、ひとつ疑問があります。多くのビルや工場や
家庭でエアコンを使ったら電力不足にならないのかということ。数年前でしたか、一日の発電
量がいくらで消費電力がいくらで、足りる足りないと云っていたことがありました。
あやふやな記憶ですが、日本には50数基の原子力発電があり、現在は数基しか稼働していな
いんじゃないかと。ほんの少しの原発の稼働でエアコンを目一杯使って大丈夫なんでしょうか。
前回、目黒区役所で戸籍謄本を貰いましたがその続きです。
区役所を出て昔住んでいたところを目指しました。40年ほどの時間差がありますから当然
変わっているだろう、どう変わっているだろうと思いながら歩きました。
中目黒駅近くの駒沢通りと山手通りの交差点です。
前後に走っているのが駒沢通りで奥に進むと山手線の恵比寿駅があります。逆方向に進むと
駒沢オリンピック公園です。
山手通りを右に進むと目黒警察署方面です。
ニトリの文字が右側に見えますが、この奥の山の上の集合住宅に住んでいました。
った建物です。手前の建物が邪魔してよく分かりませんね。
(後でわかったのですが、山手通りに接しているこのレンガ造りの建造物は「目黒川船入場」
なんですね。下2枚めの目黒川に接しています)
9階に住んでいて見晴らしがよく駒沢通りも山手通りもよく見えました。しかし、暴風雨の時は
困りました、まともに雨風が吹き付けますので、雨が吹き込まないように新聞紙を窓のレールの
ところに詰めなければなりませんでした。
入る道として賑わい、かって坂の上にあった築山「新富士」は浮世絵にも描かれた江戸の
名所であった。
ところには石段があったように記憶しています。そして、この坂の途中にはイタリア大使館が
あったように思います。
坂を登りきったところを左折して少し進むとわが住まいでした。
左折せずに真っ直ぐに坂を下り突き当たったところが恵比寿駅でした。わたしはこの道を通い
ましたので、ちょうど反対側の別所坂はあまり記憶に残っていないのです。
ながら約1時間半の散策でした。
ご同行の皆さんありがとうございました。
これについては次回アップの予定です。
東横線 中目黒駅から (7月19日) [東京散歩]
今日アップする記事を書いていたのですが、テンプレートが崩れてどう仕様もないので
変えました。2、3日前からPCの調子がおかしいのです。またまた重くなったのですが、
その他に画像をアップするソフトが遅くなったりフリーズしたり・・・困ったなと思って
いたらきょうはRSSが働いてくれず、テンプレートも崩れてしまいました。
多分、ブラウザの調子が良くないのだろうと思っています。テンプレートは元に戻すか
今のままにするか決めておりません。いよいよPC を買い換えないと駄目でしょうか。
ましたが、心配になりネットで調べてみました。
慢性腎臓病(CKD)は、その重症度に応じて、ステージ1からステージ5の5段階に分けられ
ています。その指標となるのが推算糸球体濾過量(eGFR)です。
これは、腎臓にどれくらい老廃物を尿へ排泄する能力があるかを示しており、この値が低い
ほど腎臓の働きが悪いということになります。(ネットから)
数値を減らす努力をするとともに腎臓に悪いものは食べないようにしなければなりません。
透析をしなければならない身にはなりたくないですから。
タロウのその後ですが、病院に行ってから3週間経ちました。安定していると云えるんで
しょうか、数日前に水を飲んだ後、一回だけ吐きました。それまで吐いていたことが嘘の
ように吐カなくなり毛玉も一度も吐きません。
これで様子を見ます。
7月19日、クリニックを出て保土ヶ谷駅から電車に乗り横浜駅で東横線に乗り換え。
何年ぶりでしょう、東横線に乗るのは。浦島太郎でした。
目的地を目指して商店街を歩きました。ここは目黒銀座と云うんですね、目黒に銀座があるとは
知らなかった。一番街、二番街とあります。夏祭り中のようですが、まだ10時ですから人通りは
少ないです。
この途中で狭い道に左折すると
したらまた東京に戻るかもしれないと本籍は残して置きました。特に不便は感じなかったのですが、
そろそろ移そうかということになったのです。
(本籍を現住所に移すには戸籍謄本が必要で、それに転籍届を付けてきのう保土ヶ谷区役所に
提出し、手続き完了です)
感じの良い対応です、市民のために仕事をしているという感じでした。
次回とします。
長々と書きましたが、お付き合いいただきありがとうございました。
東京駅をぶらり。 (3月17日) [東京散歩]
昔とは違うと云っても、四季のある日本は素晴らしいですね。自然界は人間の期待するようには
動きませんね、人間の様々な行為に沿って動きます。さて、当地ではソメイヨシノの満開はいつで
しょう。
きのう暖かだったのでハイビスカスと月下美人の鉢をベランダに出しました。これから暖かな日が
続くと思ったのですが、週末には寒く雪が降るかもしれないとの予報。最低気温が5℃以下になら
ないことを祈ります。
先日、久しぶりにいや約一年ぶりに知人に会いいろいろ喋り合いました。
彼はわたしと同年輩ですが、昨年は体調をくずしていました。腰痛がひどいので整形外科でリハ
ビリをしていたそうですが、なかなか良くならず、たまたま血圧の薬を貰っている医院で先生に
話したら、内臓が良くないのかもしれないと調べてくれたそうです。問診ではどこの異常もないと
云ったそうですが、消化器系になにかあるかもしれないと胃カメラを。その結果胃潰瘍と十二指腸
潰瘍が見つかったそうです。
彼は胃がんを覚悟したようですが、潰瘍はひどいものではなく薬を三ヶ月飲んで完治。ところが
完治と云われても元の体調に戻るのに時間がかかったようです。
彼は若い頃、登山をすることが多かったそうですが、中年以降体力が衰えてからは山歩きに切り
替え野の花や樹木を訪ね歩いたそうです。今も歩いています。
有意義な話を聞きましたが、長くなりますので次回に続きます。
3月17日はお忙しいmakkun さんを引っ張り出し、東京駅をぶらぶらしました。
東京駅にはわたしが勝手に歴史遺産と云っているところがありますので、そこを尋ねたかった。
八重洲口中央改札口を入って中央通路を少し歩いた右側に新幹線中央乗り換え口があります。そこの
柱に黒いプレートが見えます。
浜口雄幸首相が襲われた現場の説明文のプレートです。
このプレートから振り返ると乗り換え口で、その階段の手前に遭難位置を表すプレートが埋め
こまれています。
実際に襲われたのはここではなく、この上のホームだったそうです。
次は丸の内南口の改札を出たところです。改札を出ると右側に発券機がありますが、このすぐ
側です。矢印の先にピンポン玉くらいの丸があります。下ばかり見ていると見落とします。
ここの前の壁にプレートが貼ってあります。
これらの遺産があることは知っていましたが、現物を見ることがありませんでした。ようやく
makkun さんに迷惑をかけながら自己満足です。
見ていると、ここに関心を持つ人はいませんね、歴史は遠くなりにけるですかね。
この後、南口の隣の「KITTE」に向かいました。
KITTEビルの入り口を入ったら・・・こんな空間がありました。想像もしていなかった商業施設です。
エレベーターで6階へ。
makkun さんに案内されて新丸ビル、7階に移動。
途中、地面上で東京駅の正面を撮りたかったのですが、駅の前のロータリーというか広場というか
工事中で撮れませんでした。
新丸ビルの7階から撮った一枚。東京駅南口と向かいの白い建物はKITTEです。
見つけられないでしょうね、奥に新幹線です。
7階から撮りました。一応東京駅の端から端まで入っています。が、撮り方がまずかったのか
加工がまずかったのか、歪んでいますね。
これはこの時撮ったものではありません。丸の内側にありますが何かわかりますか、みなさんは
お分かり、知らなかったのはわたしだけ?
ここは入り口で天皇陛下が使用するところです。
新丸ビルから和田倉噴水公園ね向かいましたが噴水は出ていませんでした。少し休憩し東京駅
方面に戻り、丸の内をブラブラと有楽町駅まで歩きました。
駅近辺には飲んだり食べたりするところがたくさんあると思ったのですが、意外にありませんね。
makkun さんが他の町で懇意にしている「磯丸水産」がたまたまありましたので、昼から楽しく
美味しいひとときを過ごすことが出来ました。
makkun さん、お忙しい中引っ張り回しましたが、おかげさまで楽しい一日を過ごすことが
出来ました。有難うございました。
尚、私の東京駅散歩の内容は非常に貧弱ですが、makkun さんのブログに詳しく載っています。
面白いですからお立ち寄り下さい。
本日はこれにて。
<追記> 写真をクリックするとアルバムに飛びます。クリックして出た画面の下の方に
小さな写真と「170317 東京駅」がありますのでクリックして下さい。
大きな写真を見られるかもしれません。
右下にsign in とフラグがたちますが、Xをクリックして消して下さい。
六義園も紅葉はまだだった。 (10月21日) [東京散歩]
近所の人に顔を合わせたときの朝の挨拶は、「寒いですね、秋を飛び越して冬が来ましたね」です。
きのう(9日)東京では木枯らし1号が吹いたそうです、当地はいつ吹くのでしょう。
冬の使者の雪が北海道から東北に降りてきています。山は別として平地の紅葉・黄葉はどうなるのでしょう?
昨夜、わが家では新米を食べました。
ふる里から送られてきた宮城県産米「ひとめぼれ」です、早々とお歳暮だと兄は云っていました。
わが家は米が無くなると兄から精米して送ってもらっています、勿論、お金は払います。ですからいつも新鮮な美味しい
米を食べていますから、新米だと云っても飛び上がるほど美味しいとは思いません。
でも美味しかった!やはり新米です。ありがとうございました。
10月21日、makkun さんと二人の写友と一緒に旧古河庭園を後にして途中で昼食をし向かった先が「国指定特別名勝
六義園」でした。
六義園はわたしも何度か訪れています。何度も訪れているからでしょうか、特に感激するということもなくのんびりと
景色が楽しまます。
六義園を調べると、五代将軍・綱吉、側用人・柳沢吉保そして三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の名前が出てきます、
ヨーロッパの石造りの門や日本の城の門も見ごたえがありますが、住まいや庭に導くように造られた豪華でない門が
わたしは好きで、それを見ると撮りたくなります。前回の旧古河庭園でも一枚撮っています。
こういうところの門には名前がついていますが、それをチェックしてこないのもわたしがぐうたらだからです。
南庭大門 ここを入ると右側に枝垂れ桜の大木があります。
内門 ここを入ると池と広々とした芝生が広がります。
もっと前に進んで池(大泉水)を広く撮り、中の島も大きく撮れば良かったのにと思います。そうしないのは目の前の
芝生の広がりに惹きつけられるからでしょう。
田鶴橋(たづばし)
キンクロハジロ この秋初めて見ました、もう来ているんですね。
つつじ茶屋
舟屋の左に臥龍石(がりょうせき)が見えます。龍の背のような姿を見せる石だそうですが、この日は亀とカルガモが
乗っかっていました。
蓬莱島 少し右に歩いて撮ると石に穴が開いてるのが見えるんですが。右奥に鴨、キンクロハジロ?
中の島を別の角度から眺めながら大泉水周遊を終了。
園内の碑の説明板を見ると、景勝地十二境八景、八十八境の石柱、新脩六義園碑という文字が見られます。
こういうものを探しながら回るのも楽しいでしょうね。
いつも後で思い出すのですが、藤代峠からの眺めが良いんだそうですが、行くたびに頭から抜けています。
この後、京浜東北線で上野へ出て不忍池に寄りました。
不忍池弁天堂
そして、ごくろうさん飲み会でした。3時開店のmakkun さんのおなじみの店に開店前に入り、飲みそして食べました。
その内容はmakkun さんのブログが詳しいです。
最初から最後までmakkun さんにはお世話になりました。みなさんより早めに店を出て電車に乗りましたので
退社時間よりちょっと早めでしたから東京駅から座ってウトウトしながらのご帰還となりました。
新しい発見があり、美味しい料理で飲み、楽しい一日でした。
makkun さん、有難うごじました。
本日はこれにて。
旧古河庭園 心字池とそのまわり! (10月21日) [東京散歩]
きょうからブログタイトルを「a domani」に替えました、何かが変わることを期待して。
実は今足腰の衰えが感じられてめげているんです、それを払拭したいんです。
これからもよろしくお願い致します。
旧古河庭園の続きです。
バラ園を見た後、日本庭園へ。
まず目についたのがこの灯籠。実はこの灯籠を撮ろうとは思いませんでした、背景の紅葉の始まりを撮りたかった。
この灯籠は「太平型灯籠」というそうです。庭園内にはたくさんの大きな灯籠がありますから、灯籠を主にして撮っても
良かったですね。
思いがけず紅葉の始まりを見たためにそちらに関心が行ったのでした。
灯籠を撮るときは台座まで取らなければだめですね。
心字池を目の前にしたら「雪見灯籠」が目に入りました。左にハゼノキ、紅葉が始まっていました、早いですね。
ウルシの仲間だから紅葉するんですね。
雪見灯籠が気に入ったというか、雪見灯籠を入れるといい景色になると思ったのか、たくさん撮りました。
三枚アップします。
これは「崩石積(くずれいしづみ)」というものだそうです。
京都で発達した伝統的な工法で、石と石が噛み合って崩れそうで崩れない姿が美しいとされています。
大滝
高さは10m以上あるようです。
上はバラ園ですから、
庭園内の高低差が
がわかります。
水源は井戸水。
今月下旬には紅葉に彩られた素晴らしい景色が見られるでしょう。松の木を額縁にして。
茶室もありました。
わたしは初めてでしたが、旧古河庭園は見ごたえのある庭園ですね。
わたしはバラ園よりも日本庭園が痛く気に入りました。京都の庭師・植治こと小川治兵衛が作庭した名園なんですね。
わたしは小川治兵衛という人は知りませんでしたが、「おがわじへい」とキーを叩くと「小川治兵衛」が出るんですから
有名な方なんですね。
一年中季節季節の花を見ることができるようなので、必ず再訪することになるでしょう。
ここを出て、次は六義園ですが、その前に昼食です。わたしは蕎麦をいただきました、大盛りで。
本日はこれにて。
旧古河庭園 バラ祭りでした。 (10月21日) [東京散歩]
次回からブログタイトルを「a domani」にしたいと思っています。単なる気まぐれですが、「日々是口実」を長年使って
きましたので心残りのところもあります。タイトルを変えることにより内容も皆様を引き付けるものになればいいのですが。
「日々是口実」がなくなったと驚かないでください。
冷え込んできました。
冷え込んできて困っていることがあります、先日アップしたアレルギーのことの他に水分がなかなかとれないことです。
七月に血液検査をした時、クレアチニンと尿酸の数値が高かったので先生から水分を多くとるように云われました。
たくさん水を飲んでおしっこをどんどん出すことによって高い数値を低いものにしようということでしょう。
夏の間は脱水症状を防ぐために一日1.5L とか2L 飲めと盛んに云われていました。わたしは別の目的で飲まなけ
ればならないのですが、一生懸命飲みました。でも、1L くらいではなかったかと。
夏でもそうですから汗をかかなくなると水分補給は辛いものになります。これが困っていることなのです。
今は水もお茶も暖かにして飲んでいます。せいぜい多くても一日1L くらいだと思うのですが、その結果トイレに通うのが
忙しくなっています。
10月21日はmakkun さんのお誘いで都内の庭園を二箇所廻りました。
makkun さんの写友お二人と合わせて四人で訪れました。
きょうは旧古河庭園のバラをアップしますが、makkun さんに先を越されてしまい、わたしの内容は色あせたものに
なっています。makkun さんのブログをご覧いただければ良くわかると思います。
旧古河庭園は特に関東にお住いの方はご存知だと思いますので成り立ちなど書きませんが、実はここはわたしは
初めてでした。皆さんのブログで拝見しすでに訪れていると思っていたのですが、勘違いでした、訪れてみてわかりました。
「国指定名勝都立旧古河庭園」と門柱にあります。
都立文化財庭園が九箇所あるんですね。浜離宮恩賜庭園、旧芝離宮恩賜庭園、小石川後楽園、旧岩崎邸庭園、
向島百花園、清澄庭園、殿ヶ谷戸庭園、旧古河庭園、そしてこの後訪れる六義園。こうして見てみるとわたしは意外に
訪れていました。訪れていないのが殿ヶ谷戸庭園です。向島百花園は東京オリンピックの頃ですから、完全に変わって
いるでしょうね。
門を入って右に90°曲がると洋館のここは玄関でしょうね。
正面と云っていいのかな。
皆さんがバラを前景にして洋館を撮られていますので、わたしも真似て見ました。
日本のバラが空に伸びていますが、これのないところで撮るべきでした。
空が白っぽいですね、なぜ三枚目のように青空にならないんでしょう?
「秋のバラフェスティバル」は23日まででしたが、終盤でしたから傷んでいるバラも多かったですが、
十分に楽しむことができました。
わたしはバラはほとんど赤いバラしか撮りません。たくさんの色のバラがありますから、撮りきれないというところです。
赤いバラだけではどうかと思い他の色もアップしてみました。
きょうはこんなところでお仕舞いです。
正直云いますと、わたしが旧古河庭園で惹かれたのはバラではなく、「心字池」のある日本庭園でした。
しかし、バラは人気があるんですね、平日でも大勢の方が来園していました。
次回日本庭園をアップする予定です。
本日はこれにて。
吉保は作庭のとき何を考えていたのでしょう。 (3月5日) [東京散歩]
大企業で働く人は幸せです。
少し気になることがあります、わたしの単なる妄想ですが。
ベースアップの原資はどこから出てくるのかな。
一生懸命働いて利益を増やす、株主配当を減らす、経営陣の年収を減らす、政府にお願いして税金を減らす、
外注費を減らす、非正規社員を増やして労働費を減らす・・・・・あとはなにか忘れていないかな?
なんでこんなことを思ったかというと、とげぬき地蔵お参りのあとに六義園に行ったからです。
五代将軍・綱吉に仕えた柳沢吉保が造った庭園ですが、どんな思いで吉保は綱吉に仕えたのでしょう。
今の企業の経営陣はどんな思いでお殿様の顔色を見ているのでしょう。高岩寺を出て巣鴨駅を素通りして
六義園に向かいました。
六義園は確か駒込駅から近かったはずだと思ったのですが、天気もいいし歩くことに。
ちょっと失敗でした。巣鴨駅方向から行くと正門が反対側になり、塀にそってぐるっと回らなければなりま
せんでした。
途中、道の両側は大邸宅です。やはり江戸時代の高級武士の子孫の方々がお住まいになっているんでしょう。
六義園は久しぶりです。奥様の
記憶では中目黒に住んでいたとき、
というのは子供が小さいころ二三
度来ているとのこと。
正門と入ってすぐのところがおぼ
ろげながら記憶にあるだけであとは
覚えていません。
入園料は300円ですが、65歳以上
は150円。二人合わせて一人前。
六義園は五代将軍・徳川綱吉の
信任が厚かった川越藩主・柳沢吉保
が元禄15(1702)年に築園した和歌
の趣味を基調とする「回遊式築山泉水」
の大名庭園です。当園は池をめぐる
園路を歩きながら移り変わる景色を楽し
める繊細で温和な日本庭園です。
江戸時代の大名庭園の中でも代表的
なもので、明治時代に入って、三菱の
創業者である岩崎彌太郎の別邸となり
ました。その後、昭和13(1953)年に
岩崎家より東京市(都)に寄付され、
昭和28(1953)年に国の特別名勝に
指定された貴重な文化財です。(パンフ
レットから)
この庭園の作庭については、吉保自身の培った文芸趣味の思想に基づき、自分から設計七年余りの歳月を
費やし池を掘り、山を築き流れを見せて、紀州和歌の浦の景勝を、あるいは「万葉集」や「古今集」から名勝を選び
園内に八十八景を写しだすという園の構成です。
このような庭園も吉保が没したあとは荒れる一方であったが、のち整備され、明治十年頃付近の藤堂、安藤、
前田の各私邸とともに、岩崎彌太郎市の別邸の一部となり昔の美しさを取り戻した。(園内の説明書きより抜粋)
庭園の真ん中に配置されている池の周りを一周しました。
池には中島があり、平坦な芝生があり、大小多数の築山が起伏し、橋があり、各所に茶屋があります。
どこを見ても絵になるでしょうが、どう撮ればいいかわたしには難しすぎました。
撮ってきましたが、枚数が多いのでサラッと流してください。
花がもう少しあるかなと思ったのですが、梅を3本か5本見ただけでした。これから桜などでいい季節になるでしょう。
しかし、昔の財閥はすごいですね!現在の世界ランクのお金持ちとはどう違うんでしょうね。
本日はこれにて。
みんな人が造ったものなんですね! [東京散歩]
一昨日の朝食の時、連れ合いが「目が赤いよ!」という。左目の白目の半分が真っ赤!鮮血!家にあった市販の目
ときにも起こるよし。充血をとる目薬を処方されて帰宅でした。やれやれ!
久し振りに高いところから東京を見るのが目的。
東京タワー 遠くに東京スカイツリー
右下は隅田川?
makkun さん、楽しい一日をありがとうございました。
本日はこれにて。