貧乏とは? [考える]
暑い日が2日ほど続きました。
「異常気象」という言葉に嫌や顔をして敏感に反応するわたしの目の前で、連れ合いは明日からの改装工事の最後の準備をしながら汗を流し、「異常気象」を連発ししていました。
いよいよ明日からダイニングキッチンの工事です。明日は流しやガス台などを取り外します。新しいシステムキッチンが据付完了するのが21日の予定。3日間あるいはプラス1日間は流しもガス台も使えません。ご飯は電気釜で炊けるでしょうが、おかずをどうするか問題です。そして皿や茶碗を洗面所で洗わなければなりません、これも問題。
今のところ料理は作らない、出来合いの惣菜を買ってきてチンするものはチンする。味噌汁の代わりにカップなんとかにするとしました。出来合いの惣菜を買ったことがないので、うまいのかなあなんて。いっそ弁当がいいのではないかなどと。
明日から電話やインターネットの接続機器を日中は外さなければならないことがありそうです。従いまして皆様のところには早朝と夜にお伺いすることになり、遅くなることがあるかもしれません。ご容赦ください。
話は変わって
わたしはBS日テレが放送している「小さな村の物語 イタリア」(土曜日21:00~21:54)という番組が好きで見ています。
経済的には決して豊かでない小さな村で、人々は生きています。人間の暮らしとはこんなことなのかと思わせてくれます。
わたしがイタリアを見ているよりはずっと深く日本を見た人たちがいました。幕末・明治のはじめに日本を訪れた外国の人々はその日本の印象を書いています。ほぼすべてに共通しているのは、「人々は貧しい。しかし幸せそうだ」と。
大森貝塚を発掘したアメリカ人モースも、「貧乏人は存在するが貧困は存在しない」と云ったそうです。
欧米の考え方の基準では、一般に裕福とは幸福を意味し、貧しいとは惨めな生活や道徳的堕落など絶望的な境遇を意味していたそうです。
(上の文は、藤原正彦著「日本人の誇り」文春新書を参考にしています)
わたしとしては受け入れ難い所がありますが日本人は幸せに暮らしていると見えたのでしょう。
河上肇はその著書「貧乏物語」の中で「貧乏とは何か=体や知能など生まれ持った天分を伸ばしていくのに必要な環境を得ていないものはすべて貧乏と称すべきだ」と云っているそうです。
貧乏って何?、貧困て何?、 わたしは貧乏なのだろうか、貧困なのだろうかと考えると朝方眠れなくなってしまいます。年金をもらう年齢が段々遅くなる・・・政治家・官僚の皆さん、自分のことは自分でやるから何も構わないでください。
イタリア大好き人間のわたしは次に生まれて来るときはイタリアの山の中の小さな村に生まれてきたい。経済的に苦しくても家族愛、郷土愛を育んでのんびりと生きたい。日本の昔はそうだったのかな。
この番組のうしろに流れる歌がまたいい!
きょうの付け足し;
明日から家の中がどうなり自分たちはどうすればいいか全然わかっていない愛猫の昼寝姿です。大好きなママのベッドの枕元と足の所で寝ています。仲がよくなく絶対にくっついて寝ません。
チビ;13歳、おばあちゃんです。
何をしようと目を開けません,寝たふりしています。人の心を読んでいます。利口です。